Sunday, July 03, 2011

なつ、夏

お昼から重い映画を見てしまったので、色々と考えていたけれど、それを打ち消すかのように打ち上げてきた。花火、花火。
やっぱり線香花火が一番だ。そーいえば、3週間いたお客様は帰国日がフェスティバルデイで花火がたくさん見れると言っていたっけか。今頃見ているところだろうか。それとも時差ぼけでこんこんと寝ているのだろうか?

10万年後の人類に、下手すると人類に限りなく近い違う種類の生き物に、私達は何を伝えられるのだろうか。考え出すときりがない。もしかすると私達にとって有害な放射性物質が、「彼等」にとっては有害ではない可能性だってある。
エネルギーを使う。二酸化炭素が出る。処理できない放射性廃棄物が出る。もっとエネルギーを使う。。。
何かがおかしいと訴えている。この違和感は何だろう。理屈ではなく、もっと根源的な、そう、ユングの提唱している普遍的無意識ではないけれど、「忘れることを忘れてはいけない」という矛盾。
この矛盾は、エネルギーを消費するのみで、その先に待ち受けている現実を見ようとしない私達の現状にピタリと一致するのだ。恐ろしいほどに。
普遍的無意識とは、人類にとってのものなのだろうか。それとも地球上の生物すべてに共通するもの?
人類にとってだけのものであるのならば、遺伝子的にプログラムされているということになり、
すなわち、、、
恐ろしいことを考えてしまうのだ。「それ」を発見して、「それ」により私達の文明は発展する。豊かになり、人口は増える。
そしてある日、「それ」は逆方向に傾く。地球がバランスを保てるように。
それは全てプログラムされているとしたら?「誰か」の、普遍的無意識だったら?
あまりにもうまくできすぎている。
誰かが言っていた。人の立場に立って物事を考えなさい、と。
一方的な見方をするのではなく、必ず逆方向から考えなさいと。
では、地球から見て私達の存在は、一体??

考えてしまうのだ。
あまりにもうまくできすぎているからこそ。
そのきっかけとして震災があったのならば、私は何かを考えないといけないのだ。
たとえ何もできなくても、きっと考えないといけないのだ。

時間との遭遇

えーかなり酔っている訳です。

超しあわせだなーと思う訳です。
実際、その通りな訳で。だって自由な時間があり自由になるお金もある。
将来のことも当面は、、まーいい歳ではありますが、切羽つまるほどではない。(と思っているのは自分だけかもしれないけれど)
自由な訳です。

ただし、せまりくる漠然としたタイムリミットがある。
そんな歳な訳です。

たのしかったーたのしかった。
20代の頃みたいな馬鹿騒ぎではないけれど、なんだろう。
しあわせーなのです。刹那的に。
しあわせーとは、刹那的だからこそ。とか。
なんでもできるようでいて、限られている。だからこそ。。。

色々知ることも多くなる訳です。
器用にこなせることも多くなってくる訳です。
昔よりもずっと。
ワインもおいしいのを飲んじゃったりする訳です。

そして思う。
今という時がずっと続きますように、と。
どこにも行きたくないのは私自身で、だから先に進めないんだなあ、、と。
今が幸せなのです。現実に戻りたくない。
「だからこそ」
そういう歳な訳なのです。

Saturday, June 25, 2011

Time is

時間が止まっていました。

3.11以前がまるでなかったかのように。分断されていました。
ふと思い出したのは、高校生の時にもらった記念品が指輪だったということ。
いつの間にか失くしてしまったけれど、そして今の今まで思い出しもしなかったのに、どういう心境なのでしょう。

ポストモダンというキーワードに付随してラベリングされた様々な事象を紐解いていくと、膨大であったり難解であったりする出来事がするするとほどけていくような錯覚に陥り、勘違いしてしまいます。
ただ、ふと思うわけです。日々ただ呆然と過ごすより、多少なりとも抽象的な事象について思案を巡らせてみる方が、世間的に見るとはずれていても(ここで言う世間とは私の周りで構築されていて認識できる範囲内のことだけれども)、何かを考えてるっていう気持ちになります。
逆に言うと、世間で繰り広げられている大半のコミュニケーションは消費的であり、創造的なものではない。そんな傲慢なことを思ったりすることもあります。

そういった際に、どうやって折り合いを付けていくか。アウトプットするのは私自身であり、私ではない。その矛盾に日々消費される思いを抱えて、いっそのこと10点ならば0点で生きる方が楽なんじゃ、、と思いつつも、指摘されたようにやっぱり私は隠れSかもしれない、とぼんやり思いました。

Wednesday, April 13, 2011

節電?

「節電」という張り紙をしているおみせが多いけれど、、
実際、会社がある建物のエレベーターとか、いたるところにあるけれど、、

「電気を無駄使いしません」
って書けばいいのにな。
とふと思いました。
本当は電気を大切にしています、って書いて欲しいところだけど、紆余曲折。

言い方って大事だなあー。
文章もそうだなー。

Sunday, April 10, 2011

自粛と自制について

震災が起きてから色んなことを自粛しなさい、と言う人がいます。
でも、それに対してそれじゃ経済が回らないから適度にね、と反論する人も出てきました。
確かにそうかもしれない。でも、納得しきれていない、何となく歯がゆいこの気持ちは何だろう。

経済活動が萎縮しないようにするのは大切だけれど、地震によって何もかも失ってしまう、そんな絶望を味わった人に、理屈は通用するのか、と。
悲しいことに、想像できているようで、きっとできていないのだろう、というのが正直な気持ちです。

ただ、そうやって悲しい気持ちになった後でも、目の前においしいごはんがあったら、やっぱりおいしいと言って食べるし、お風呂に入って、暖かい布団に包まれる。それが普通の人間ではないかと思うのです。

だからこそ大切なのは、経済活動云々、、ということではなく、
おいしいごはんを食べるし、バラエティを見て笑ったりもするけれど、震災に対して人として悲しさを抱えているし、できることなら何とかしたいと思っているのだ、という気持ちを、被災された方に対して一人一人が伝えていくことなのではないのか、と。
自粛を呼びかけている人達は、怒りの方向性を「自粛」に向けるのではなく、被災された方への励ましにすればよいのではないかと思うのです。

免罪符のように正論を言うのは簡単だけれど、今だからこそ、経済が活性化することを目的にするではなくて、人の気持ちが経済を動かすような社会に変えていくべきなのではないかと。原点に立ち戻るべきなのではないか、と、願ってしまうのは私だけなのでしょうか。
痛々しくてもいい、しばらくは。
そんな思いがあります。
そして、実際、今はそういう状況なのだと思います。

Tuesday, February 22, 2011

眠い睡睡。。

今日電車の中でとある本を読んでました。質問:さあ、頭の体操をしましょう!あなたが24時間以内にしたいと思うことは何ですか?
「寝ること」
さて。結論から理由付けをするのが大事です。人はWhyの部分に共感するのです。うふふ。その理由は何でですか?
「眠いから」
ぜんぜん体操になってないなあ。っていうか、確か小学校3年生の時も同じ回答をしていたような。10歳から成長していないってことね。。がっかり。
Ah. でもね。ちょっとだけ成長したよ!本音と建前と「オチ」っていうのがわかるようになってきたよ!
もう少しだよおかーさん!!私、大人への階段を上ってるよ!!!