お昼から重い映画を見てしまったので、色々と考えていたけれど、それを打ち消すかのように打ち上げてきた。花火、花火。
やっぱり線香花火が一番だ。そーいえば、3週間いたお客様は帰国日がフェスティバルデイで花火がたくさん見れると言っていたっけか。今頃見ているところだろうか。それとも時差ぼけでこんこんと寝ているのだろうか?
10万年後の人類に、下手すると人類に限りなく近い違う種類の生き物に、私達は何を伝えられるのだろうか。考え出すときりがない。もしかすると私達にとって有害な放射性物質が、「彼等」にとっては有害ではない可能性だってある。
エネルギーを使う。二酸化炭素が出る。処理できない放射性廃棄物が出る。もっとエネルギーを使う。。。
何かがおかしいと訴えている。この違和感は何だろう。理屈ではなく、もっと根源的な、そう、ユングの提唱している普遍的無意識ではないけれど、「忘れることを忘れてはいけない」という矛盾。
この矛盾は、エネルギーを消費するのみで、その先に待ち受けている現実を見ようとしない私達の現状にピタリと一致するのだ。恐ろしいほどに。
普遍的無意識とは、人類にとってのものなのだろうか。それとも地球上の生物すべてに共通するもの?
人類にとってだけのものであるのならば、遺伝子的にプログラムされているということになり、
すなわち、、、
恐ろしいことを考えてしまうのだ。「それ」を発見して、「それ」により私達の文明は発展する。豊かになり、人口は増える。
そしてある日、「それ」は逆方向に傾く。地球がバランスを保てるように。
それは全てプログラムされているとしたら?「誰か」の、普遍的無意識だったら?
あまりにもうまくできすぎている。
誰かが言っていた。人の立場に立って物事を考えなさい、と。
一方的な見方をするのではなく、必ず逆方向から考えなさいと。
では、地球から見て私達の存在は、一体??
考えてしまうのだ。
あまりにもうまくできすぎているからこそ。
そのきっかけとして震災があったのならば、私は何かを考えないといけないのだ。
たとえ何もできなくても、きっと考えないといけないのだ。
Sunday, July 03, 2011
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